2012年1月20日

8 ドイツ林業と日本の森林資源

日本と比較するとドイツは森林面積が3分の1しかありませんが、林業の規模では4倍もあるそうです。木材自給率は100%を超えています。池田憲昭さんにはフライアムト以外に、ドイツの林業・森林について、実際に「黒い森」の中も歩き、話を聞きました。林業のあり方や日本の森林の価値を学ぶことができました。

森林には本来、多様な機能があります。もちろん木材供給などの生産活動もありますが、それ以外に、生物が生息するビオトープであり、光合成によるCO2固定と酸素供給、景観維持、土砂災害防止、水を蓄える、保養や教育の場となる、といったような多面的な役割を持っています。アメリカやカナダ(日本も?)の林業が経済森林と環境保護を別々にするのと異なり、ドイツの林業は、森林の機能をすべて維持しながら生産活動を行うという方法をとっています。とりわけ都市部近くの森林では、災害防止などの観点から森林機能の維持が重要になります。
その森林を管理する役目として、公有林の林業を行い、私有林のコンサルティング(林業支援など)をしているのが「フォレスター」(森林官)です。デスクワークが8割で異動もある日本の森林担当の行政職員と異なり、ドイツのフォレスターは現場で林業経営をする専門職です。かつては貴族に仕えてハンティングや森の整備をしていました。実は、現在でも社会的地位の高い職業であり、子どもたちが憧れる職業としてトップ3に上がるそうです。死亡事故率が建設業の数倍と危険な職業でもありますが、フォレスターの働く姿を前面に出したキャンペーンの効果もあり、スポーツマンのような「カッコいい」イメージが持たれています。

よく日本は「資源小国」などと言われますが、実際には国土の3分の2以上が森林資源に覆われた「森林大国」です。日本とドイツの森林を比較すると、樹種の多さや木材の質では日本が優れています。
氷河期の時代、北半球では北から南に向かって気候が推移し、樹木などの植生はそれに伴って移動します。標高の高い場所では生育できる樹種は限られるため、「山脈の向き」が東西方向であるヨーロッパでは気候の推移とともに南へ移動した植物が山脈に追いつめられて絶滅し、樹種が大きく減少しました。日本の場合、山脈はどちらかというと南北方向であるために同じような樹種の絶滅が避けられたのだそうです。「ミズナラ」を例にすると、ヨーロッパでは4種のみ、日本では20種が見られます。
また、日本のスギなどは木材としての質が高く、ヨーロッパから見ると「うらやましい」と言われます。池田さんのレクチャーで、「日本でバイオマス発電のための林業経営は可能ですか?」と質問すると、「それは非常にもったいない」という答えが返ってきました。それだけ木材としての利用価値が高いということです。

日本の林業は衰退し、ドイツに比べて産業としての存在感は希薄です。しかし、資源である森林の豊かさにおいては日本の方がまさっており、それを生かせていないことに問題があると言えます。
現在の日本のスギやヒノキは戦後になって人の手で植えられたもので、間伐することを前提に密植されています。そのため間伐を行い、人が手を入れ続けなければ木は痩せ細って森林の機能は弱くなります。私たちがちょうどフランスに行っていたとき(11年9月)に近畿地方を直撃した台風12号による土砂災害も、写真などを見ると密生した木々が痩せているようであり、根を深く張れないために土砂崩れが起こりやすくなっていたのではないかと考えられます。
林業機械
林業のやり方によっては山間部の地域経済効果にもつながります。豊かな森林資源を生かし、また土砂災害防止など森林の持つ機能を維持するためにもドイツの林業経営を学び、日本林業を見直す必要があります。

2012年1月14日

7 ドイツ反原発の出発点

フライアムト村で案内をしてくれたエアハルト・シュルツさんは、ドイツの「脱原発」に至る動きの出発点にいた一人です。また、それは「環境首都」としてのフライブルクのきっかけでもありました。

1970年代にフライブルク近郊の村ヴィールで原発建設計画がありました。初めに反対したのは地元農家で、「フライブルク大学」の学生たちに要請し、一緒になって反対運動を起こしました。激しい闘争の結果、計画が断念され、これがドイツで初めて反原発運動が成功した事例となりました。
シュルツさんはフライブルク大学の学生として参加していました。シュルツさんもそうだったようですが、「緑の党」結成の中心はいわゆる「68年世代」の学生たちで、彼らが反原発を先導していました。

フライブルクでは「黒い森」での酸性雨問題もあり、その中で起こったヴィールの反原発運動が大きなきっかけとなって環境にやさしい街づくりが目指されました。現在は再生可能エネルギーの取り組みなどで注目されています。
フライブルクのあるバーデン・ビュルテムベルク州では、福島の事故があった3月の州選挙で緑の党が躍進し、ドイツで初めて緑の党から州首相が誕生しました。そして、6月にドイツが22年の「脱原発」を再決定しています(前政権で決定されていたのがメルケル首相によって延期されていました)。これらはシュルツさんや緑の党の地道な活動の成果であり、35年間も同じように続けてきた彼らの主張が正しかったと証明されました。

シュルツさんたちの反原発の活動が実を結んだように、地道でも、自分たちのような若者が国や地域のあり方を議論し、訴えていかなければいけないと思います。

2012年1月11日

6 ドイツ・フライアムト 農業とエネルギー②

伝統的な酪農家を継ぐシュナイダーさんは、牛乳を売る以外に再生可能エネルギーによる売電、森林での林業、さらに「シュナップス」というお酒の醸造・販売をする「複合的」な農家です。これら4つの事業を収入源としています。所有する土地は76haのうち46haで牧草を栽培しており、残りの30haが森林です。
飼育する乳牛は50頭で、牛乳は地域の販売会社に売っています。しぼったばかりの牛乳は温度が38度ほどあり、ミルクタンクに入れた状態で冷媒を使って9度まで冷まします。このとき、その差である29度の熱は無駄にするのではなく、「熱交換器」により搾乳機や洗浄機、生活で使う温水を作るための熱として有効利用しています。また、牛舎の屋根にはソーラーパネルが設置されています。
シュナイダーさんはレンタルしている土地に2基の巨大な風力発電機を所有しています。高さは85m、3枚のプロペラはそれぞれ35mあります。それと、ソーラー、風力発電のほかには木質バイオマス発電も行っています。
林業は育つ分だけを伐採する「持続可能」な林業であり、製材用の残りをチップ化して、夏場に乾燥させたものを燃やして発電し、発生する熱を暖房として、またシュナップスを作るためにも利用します。木質チップは工場から買うのではなく、農家自らが作ることで農家にお金が残ります。

このように、シュナイダーさんは複合的に、それぞれの事業が連関し合うことで収入を得ています。自然の豊かな農村だからこそ農業と林業があり、農林業と「歯車」がかみ合うように再生可能エネルギーを使うことができます。そして、電力買取制度があるからこそ再生可能エネルギーが収入になります。日本でも今年7月から電力買取制度が始まります。「エネルギーの主(あるじ)」(エネルギーを生産する農家)となり、「自然の恵み」を生かして複合的農業に取り組む農家のあり方が可能になるかもしれません。
シュナイダーさんは牛乳の排熱や木材の残りのような「無駄」を最大限活用しています。また、農家にとってエネルギー事業のような新しいことに取り組むのは実際には簡単ではないかもしれませんが、シュナイダーさんは「必要があればそれなりに専門知識も勉強する。大事なのは新しいことを始めるという意識だ」と言っています。農業が衰退する中、農家にとって意識改革が必要なのだと思います。

video

経済学部に転学部するまで2年間在籍した名城大の農学部で、水田から発生するメタンガスをエネルギーとして生かそうという研究が行われています。機械など農業に必要なエネルギーの足しにするだけで売電するほどのガスは出ないようですが、今まで無駄になっていた「エネルギー資源」を活用しようという取り組みは間違いではないと思います。

5 市役所における職員からの行政改革

江南市役所の「業務改善運動」発表会を見に行ってきました。
福祉課の「日常生活用具給付事業」の取り組みは、今まで窓口申請後に郵送で給付券を送っていたのを、窓口で即時発行できるようにしたものです。申請する市民にとっては手続きが楽になり、郵送のためにかかるコストが削減されています。ちょっとした「改善」ですが、職員のアイデアから少しずつ「行政改革」をしているのだと思います。
江南市は「市民自治によるまちづくり」や「市民との協働」を進めようとしています。市長の独断や、市民の意思を無視した方法ではなく、地道に、職員や市民が関与できる方向を目指すのはいいことだと思います。

(勝手にこんな評価していいのかわかりませんが。あくまで個人的な意見です。)

2012年1月10日

4 ドイツ・フライアムト 農業とエネルギー①

福島原発事故の影響でドイツは22年の原発廃止を再決定し、再生可能エネルギーの普及を急速に進めています。その中心となっているのはフランス・アルザスのライン川対岸に位置するバーデン・ビュルテムベルク州です。「ドイツの環境首都」と呼ばれるフライブルク近くのフライアムトという村は村内で消費される電力の140%を再生可能エネルギーから作り出しています。その取り組みの一主体は農家です。
「黒い森」(シュバルツバルト)という山の高地にあるフライアムトは人口約4,300人で面積は州最大、酪農を中心とした農業の村です。ドイツでは1990年から電力の買取制度が始まり、風の強いこの村では風力発電をはじめとして「市民主体」のエネルギー事業が行われています。農家の取り組み二つをドイツ在住の池田憲昭さんによるコーディネートで視察しました。

まず肉牛・豚の畜産からバイオガス発電・暖房に事業転換したラインボルトさんです。きっかけは2000年頃のBSE問題で牛肉の価格が半減したことで、電気技師の息子が協力してエネルギー事業を始めました。その方法は、所有する80haの広大な農地で飼料として栽培していた牧草とトウモロコシ(高地であるため成熟しない)などを飼料の場合と同じように嫌気発酵させた「サイレージ」に、ほかの農家から譲り受けた家畜の糞尿を混ぜてバクテリアに分解させ、発生するガスを燃やして発電機のタービンを回すというものです。電力は(買取制度により)電力会社が買い取り、発電の余熱を暖房用の温水として住宅や小学校に供給します(発電で発生するエネルギー比率は電力:熱=2:8と言われます。またフライアムトは寒く、夏でも暖房が必要なことがあります)。
ここで大事なのは、ラインボルトさんは畜産をやめた後も、変わらずに「農家」であるということです。以前と同じように農地で牧草やトウモロコシを栽培し、ただ牛や豚を一頭も飼わなくなった代わりにエネルギーを作り、売っています。これは畜産からエネルギーへ「農家のまま」事業転換した事例だと言えます。また、発電機はトラックのエンジンを改造しただけで特別な設備ではなく、お金もかかっていません。ドイツではラインボルトさんのようにエネルギーを生産する農家は「エネルギーの主(あるじ)」と呼ばれており、この場合は電力買取制度を利用した農家の「生き残り」の道となっています。

ここでは80haという広大な土地があったからこそバイオガスによるエネルギー事業が可能だったのであり、日本で同じことをすればうまくいくというわけではありません。ただ、再生可能エネルギーの基本は地域資源をうまく利用することです。ラインボルトさんの場合は広大な農地と畜産のノウハウをそのまま生かしています。気候や地形など地域の自然条件に合わせて行うという点では農業と再生可能エネルギーは共通しており、農家として再生可能エネルギーを活用することは決して不自然なことではないように思います。
発電機

2012年1月8日

3 四十年前「反原発」の経済学者と日本の「方向」

東日本大震災の後、揺れや津波の被害だけの地域は復旧することができますが、放射能で汚染された地域では人が住めなくなり、一見すると普通の田畑であっても作物を育てることができなくなりました。1973年刊行のE.F.シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』は石油危機を予言したと言われますが、化石燃料の代わりとして原子力を利用することにも強く反対し、本の中で今の福島のような深刻な事態を予測していました。

まず知識として、原子力発電が世界で始められる大きなきっかけとなったのは1953年の米アイゼンハワー大統領による「原子力の平和利用」の提唱です。日本ではその翌年に原子力関連の予算が組まれています。その後、特に原子力利用を促した要因には70年代の二度の石油危機と地球温暖化問題などがあり、これまでアメリカや日本、フランスなどでは火力発電の代わりとして原子力発電が推進されてきました。

『スモール イズ ビューティフル』では環境問題の一つとして放射能汚染が取り上げられており、最も重大な環境問題の原因になるとして原子力の利用を批判しています。化石燃料の代わりに原子力を使うことは「燃料問題を解決しようとして、恐るべき規模の環境問題、生態系の問題を作り出す」ということです。使われなくなった原子炉は「一番大きい廃棄物」であり、被ばくによる子孫への悪影響に加え、放射性廃棄物の捨て場がないこと、放射能を自分たちでコントロールできなくなることを「新しい「次元」の危険」と言っています。また、原子爆弾のような兵器でないとしても放射性物質を扱うこと自体を問題視しており、むしろ「採算性」にしか目を向けずに「平和利用」として原子力を扱うことのほうがはるかに危険が大きいと述べています。
シューマッハーが提案しているのは「永続的な経済学」であり、「自然という資本」の中でも「石炭、石油のような再生不能の燃料」ではなく「薪や水力のような再生可能な燃料」を使うべきだとはっきり述べています。彼にとって原子力利用の否定は経済成長の否定ではなく、問題は「研究の方向」であり、必要なのは「人間の背丈に合わせる方向」、「暴力ではなく非暴力、自然界を敵にまわすのではなく友とする協力関係」を目指すという「方向」です。「現代人は自然との戦いなどというばかげたことを口にするが、その戦いに勝てば、自然の一部である人間が実は敗れることを忘れている」として、自然環境への影響を考えない経済のあり方を批判しています。

シューマッハーは福島どころか86年のチェルノブイリ、79年のスリーマイル島での原発事故が起こるよりも前から原発の危険性を訴え、再生可能エネルギーの利用を提唱していました。今この本を読んで一番実感が得られるのは日本人です。ただ、実際にはいまだに原発の「安全性」や「技術」を重視し、「世界トップレベルの安全技術」として海外への原発輸出を(地震国であるトルコにも)やめていません。震災が起こるまで中部電力のテレビCMで「クリーンなエネルギー」として原発をPRしていた経済評論家は、何事もなかったように今もテレビで経済のコメントをしています。個人的に怒れたのは、一緒にCM出演していたタレント弁護士が事故発生のたった十日ほど後に大相撲解雇問題の弁護士として出てきたことですが。
日本は世界で唯一の戦争による被爆国であり、原発による被爆も経験しました。これからは「平和利用」も含めた「核」の廃絶を目指すべきだと思います。


E.F.シューマッハー 『スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学―』 小島慶三・酒井懋訳、講談社、1986年

2012年1月6日

2 アルザス大規模農業と日本農業の大規模化

日本の平均耕地面積はだいたい1.0~2.0haと言われますが、フランスの平均耕地面積は40~50haぐらいで日本に比べて何十倍にもなります。農業において「大規模」ということは、例えば土地を耕したり作物を収穫するための機械を買うと、「小規模」の場合に比べて同じ収穫量に対する機械のコストが小さくなります。大型の機械で一気に作業できるなら、農地の面積が大きいほど農作業は効率的で、農地が小さいほど機械のコストが無駄になってしまいます。
アルザスで、特に南側のオー・ラン県で高速道路を走ると道の両側一面に何十~百何十kmという規模でトウモロコシ畑が広がっています。キャベツやタバコなどもありますが一番大規模でよく見たのはトウモロコシでした。たまにトウモロコシ畑の中に数十m~数百mほどある、車輪のついた細長いスプリンクラーのような設備が置かれています。とにかく大規模で、コストの問題なら日本と競争になるはずがないと率直に思いました。
それと白ワインの産地として有名なアルザスには「アルザスワイン」のためのブドウ畑が3,600平方㎞(30km×120km)にも広がり、その中を通る170kmもの曲がりくねったワインルート(ワイン街道)が知られています。緑輝く美しいブドウ畑は日当たりのよいボージュ山脈のふもとによく見られます。こうしたブドウやトウモロコシの大規模な農地はアルザスの町と町の間の景観となっています。

ただ、昔からアルザスの景観が大規模な農地だったかというと違うようです。アルザスはライン川を渡るとドイツのバーデン・ビュルテンベルク州ですが、ドイツ側にもトウモロコシ畑が多くあります。ドイツのフライアムトという村の農家へ(本来は再生可能エネルギーの視察で)行った際に「ここのトウモロコシ畑は昔からあるんですか」ということを聞くと「戦後にアメリカによって持ち込まれて、ほとんどは工業用です」と答えが返ってきました。確信があるわけではないですが、おそらくアルザスのものも同じだと思います。つまり、100年前には大規模トウモロコシ畑の景色はなかったということになります。
また、カーヴ(ワイン農家)でアルザスワインについて話を聞いた際、この農家は「フェロモン剤」で害虫の繁殖を防ぐことで「無農薬」のブドウ栽培をしていると聞き、「昔はどうしていたんですか」と質問すると「小規模で自給自足的なワイン造りをしていた時代は防虫などの必要はあまりなかった」ということで、大規模農業はフランスでも昔から当たり前だったというわけではないことがわかりました。それに日本語の資料にはほとんどありませんが、アルザスのワインはもともと赤ワインだったようです。はっきりとしたことは聞けず正確ではないかもしれませんが、白ワインになったのは戦後からであり、それまではアルザスのワインは有名ではなかったということを言っていました。赤ワインのブドウ品種が病害虫により全滅したとも考えられます。

考えてみると、同じ作物だけを大規模に栽培するのは大変なことです。その畑に特定の害虫が入れば、大繁殖・大量発生して一気に作物が全滅する危険があります。そのリスクが大きい大規模農業は本来ならできないのが当たり前なのだと思います。それを可能にしているのは何でしょうか。ブドウにはフェロモン剤を使う以外に「接ぎ木」によって病害虫に強くする方法もありますが、問題になるのは「農薬」や「遺伝子組換え」です。何年か前に、フランスの遺伝子組換えトウモロコシ栽培が急増したというニュースがありました。

日本では今、TPPの議論の中で農業を大規模化することで生産性を上げようと計画されています。コストの問題でアメリカやオーストラリアに少しでも近づくためです。ただ、考えなければいけないのは大規模農業が「普通ではない」ということです。農業先進国でも本来の農業は自給自足か地産地消による小規模農業であり、大規模農業は人間が化学の力で自然を抑え込むことでもあります。自然に逆行せず環境を保全するという観点では、もしかしたら実際には日本の方がフランスよりも目指すべき理想の農業に近いと言えるのかもしれません。大規模化すればよいというのではなく、農業のあり方を見直すことから日本の農業問題を考えることが必要だと思います。

2012年1月4日

1 アルザスの戦争の歴史と「国際化」

まず、大学の国際フィールドワークに参加させていただいたレポート代わりです。2010年にも学生として参加し、11年の今回は二度目のフィールドワークです。行ったのは9月、場所はフランス・アルザス地域圏とライン川対岸のドイツ、それとパリです。
私たちがアルザス・ストラスブールのホテルから高速鉄道のTGVでパリへ移動したのは9月10日でした。この日と翌日に観光して驚いたのは軍人が当たり前のように銃を持ってうろついていることです。ルーブル美術館や凱旋門で見かけ、また銃を手にしたまま地下鉄で移動していました。実はこのときの9月11日はアメリカ国際貿易センタービルのテロ事件がらちょうど10年という日であり、そのための警戒態勢だったようです。それにしても、例えば東京で同じように銃を目にするようなことは想像もできません。国によって常識が違うことを知った、というより日本が特別平和なのかもしれないと思いました。

アルザス地域圏はドイツとの国境地域で、両国の間で何世紀にもわたり割譲・併合が繰り返された地域です。つまり、アルザスはずっとフランスだったわけではなく何度かはドイツ領となり、またフランス領になるということが戦争のたびにありました。第二次世界大戦のドイツ敗戦で現在のフランス領となってからは同化政策としてフランス語が教育されましたが、伝統的なアルザス語は本来ドイツ語の方言です。国籍を変えるたびに言語や文化を制限されるなど、戦争に翻弄された歴史があります。
その反面アルザスはライン川を利用した貿易が盛んで、大陸の中にあることから多くの文化が通う地域でもありました。もちろんドイツとの国境にあることから食べ物や文化もドイツとフランスが混ざっていると言われます。現在の首府であるストラスブールは、「国際都市」として観光客以外にも当たり前のようにいろんな人種の人が集まっています。欧州議会などEUの主要機関が置かれていることや地理的な位置から「ヨーロッパの中心」と言われることもあります。
こうしたアルザスの「戦争の歴史」と「国際的発展」は表裏一体で、どちらもアルザスが大陸の中にあることや国境地域であることが大きな要因だと思います。

日本で最近言われるのは海外へ行かない若者の「内向き志向」、ケータイなどが独自に進化する「ガラパゴス化」、それに韓国やシンガポールの国際的な発展に遅れを取るまいと「第三の開国」として交渉に入った「TPP」、また大阪などの大都市制度の議論でロンドンやパリ、上海などとの「都市間競争」というようなことです。いずれも日本が閉鎖的だと考え、グローバル化を推進しています。日本は孤立した島国であるだけでなく、江戸時代には二百年間以上も他国との交易を制限した「鎖国」があり、今でも国際化という点で遅れているのは事実です。
ただ、その裏側として、鎖国していた島国だからこそアルザスのような何世紀にもわたる国家間の戦争の歴史があるわけでもなく、それによって住む人が地域のアイデンティティを奪われるような経験がほとんどなかったということも考えるべきです。国際化を否定するわけではありませんが、いろんな人種が入り混じっているよりも、日本人ばかりの地域社会の方が治安が良く、安心できます。
日本の国際化の遅れは平和の裏側でもあり、グローバル化が必要だとしても、「日本は閉鎖的で遅れているから」という一方的な見方はよくないと思います。日本国内の治安の良さなどは他国から評価されることも多く、国際化のために犠牲にするのではなく、国際社会でも維持していくべきではないでしょうか。
ストラスブール